2006年12月9日土曜日

暴君考

よその国では、いわゆる暴君と呼ばれる為政者がいて、民が苦しめられるという情報を見聞きする機会は少なくありません。また、歴史上の暴君も何人かは浮かぶと思います。彼らが本当の暴君であったかは別にしても、日本には「誰もが認める暴君」がちょっと思い浮かばないのです。

日本書紀には、武烈天皇が暴君に該当する行いをした記述がありますが、後の継体天皇の皇位継承を正当化するためのでっちあげの可能性大ですし、陽成天皇の乱行も、廃位したあとの後づけの理由の可能性も指摘されています。そもそも、側近たちにとって難しかったかはともかく、人民を苦しめたという指摘はいずれもありません。
その意味では、日本はまれに見る「暴君のいない社会」であったと言えないでしょうか?

なぜこんな事を考えたかと言えば、最近の政治状況が、かなり暴君的になってきているから。それはとりもなおさず、日本の政治や社会が欧米化して、暴君を生み出す文化を取り入れた結果だと推測しているからです。私は社会科学の専門家ではないので、全くの間違いかも知れませんが、100年後、1000年後に評価される政(まつりごと)をしているか、政治家の皆さんは自問してほしいものです。

1 件のコメント:

  1. 国民新党的には小泉純一郎は暴君らしいよ。

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